ここがポイント

江戸時代の武士の出費。3分の1は交際費

長年、武士の「家計簿」を探してきた著者は、幸運にも「金沢藩士猪山(いのやま)家文書」という江戸時代の武家文書を古書店で手に入れます。それは、天保13(1842)年7月から明治12(1879)年5月までの37年間にわたって書き残されていた「武士の家計簿」でした。猪山家は代々、旧加賀藩の御算用者(ごさんようもの)、つまり加賀百万石の経理を務めてきた会計のプロたちでした。おかげでこの「武士の家計簿」は、饅頭を一つ買っても記録するほど詳細かつ完成度が高く、これまであまりよく知られていなかった江戸時代の武士の生活ぶりが歴史学者である著者によって次々に明らかにされていきます。
たとえばその借金生活や債務整理の実態です。当時の猪山家は、多額の借金を抱え、家計の首が回らなくなっていました。そこで当主の直之は天保13(1842)年7月から8月にかけて、年収の2倍にまで膨れ上がった借金を減らすため、思い切った債務整理を行います。家具や茶道具、衣服、食器などの大量の家財を売却して、借金の返済に充てたのです。その金額は今のお金で1,025万円に達すると著者は試算しています。
加賀百万石の経理を務めてきた会計のプロともあろう猪山家がなぜこれほどの借金を抱えてしまったのでしょうか。著者は家計簿を読み解き、「武士身分としての格式を保つために支出を強いられる費用」が、家計を圧迫していたと指摘します。この費用は、親類や同僚との儀礼行事をとりおこなうなど、今でいう「交際費」です。著者の試算によれば、猪山家の消費全体の約3分の1 が占められていたのです。
これは猪山家に限った出費ではありません。こうした武士としての格式を保つための「身分費用」が当時の武士たちの窮乏化を招いたと指摘します。お年玉やご祝儀、心付けなどの形で現代にも残る「身分費用」が、江戸時代には武士を借金漬けにしてしまうほどの負担になっていたと言うのは興味深い事実です。

日常生活に為替交換が根付く。レートに敏感な武士たち

「武士の家計簿」には、俸禄(給料)の使い方も詳細に記録されていました。当時の武士の給料は主に「米」で支給されていましたが、実際に生活物資を購入する際に使用するのは貨幣です。江戸時代には金貨・銀貨・銅銭の3つの貨幣が存在し、武士は米を貨幣と交換して生活していました。猪山家の場合、米をまず銀貨と交換していました。猪山家のあった西日本では、高額取引の決済手段として銀貨が主流だったからです。日常の買物は銅貨でおこなうため、銀貨の一部をさらに銅銭に両替していました。
つまり、江戸時代にはすでに為替という概念が日常生活に根付いていたのです。しかも米・金貨・銀貨・銅貨は、日々その相場が変動していました。武士はお金に無頓着なイメージがありますが、実際は、米と貨幣の換金レートを常に意識しながら生活していたため、相場や金融に鋭い人が多く、明治以降に銀行員になった人には意外にも旧武士身分が多かったと著者は記しています。
また、そうした事情を背景にこの時代に発達したのが、貨幣の両替を専門に行う「両替商」でした。三井住友銀行も江戸時代の両替商が発祥です。

代々培った会計知識が時代の激動を乗り越える力に

「武士の家計簿」にはさらに猪山家の親戚である武士たちの維新後の消息についても詳しく記されており、幕末から明治にかけての武士、士族の暮らしぶりの変遷が浮き彫りになっていました。
猪山家本家は、当主が海軍の要職に就くことができ、今のお金にすると年収3,600万円もの高給をもらい繁栄を享受しました。他方、親戚の武士たちの中には商売に失敗してしまい、親戚に資金援助を頼むなど困窮した家も少なくありませんでした。
明治以降の士族は総じて没落していったように語られがちですが、実際には猪山家のように成功した人と没落した人に二極化していったのです。
では猪山家本家はなぜ繁栄を謳歌できたのでしょうか。家柄が重んじられた江戸時代の藩組織の中では、猪山家は御算用者という会計のプロであったものの、身分としては下級武士でした。やがて明治になり、家柄が意味を持たなくなる一方で、猪山家が代々培ってきた会計の技術は、近代化を目指す明治の日本にとって江戸時代以上に必須の技術になっていきます。
家柄で重用されてきた士族が没落していったのとは対照的に、猪山家は会計という普遍的な技術を活かして、新時代を生き抜いていったのです。普遍的な技術を身に付けること、それは今の時代にも通用する、変化を生き抜く重要な条件だとも言えるでしょう。

渋谷和宏のコレだけ覚えて!

いつの時代でも資産を運用する力は普遍的

明治7(1874)年、猪山家は新政府の家禄奉還に応じて6年分の家禄を「最後の家禄」として受け取り、それ以降の家禄つまり世襲の俸禄(給料)を放棄しました。自ら稼がなければならなくなった猪山家は、リスクや期待できる運用収益を検討し、不動産による資産運用を選択します。受け取った6年分の家禄などを元手に家を購入し、賃貸に回したのです。
この選択は見事に的中しました。家賃収入を安定的に得られるようになった猪山家は、利益を不動産に再投資し、保有資産を増やしていきます。
旧加賀藩に仕えていた猪山家は、藩の財政を助けようと、藩の資金の運用先にも目を配っていました。その経験が明治時代になって自らの資産形成に生かされたのです。運用についての知識・技術もまた時代を越えた普遍的な力を持っていると言えるでしょう。

渋谷 和宏

渋谷 和宏

しぶやかずひろ/作家・経済ジャーナリスト。大学卒業後、日経BP社入社。「日経ビジネスアソシエ」を創刊、編集長に。ビジネス局長等務めた後、2014年独立。大正大学表現学部客員教授。1997年に長編ミステリー「錆色(さびいろ)の警鐘」(中央公論新社)で作家デビュー。「シューイチ」(日本テレビ)レギュラーコメンテーターとしてもおなじみ。

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