日本実業界の父・渋沢栄一とは

本書の著者である渋沢栄一は、明治期にいち早く資本主義の本質を見抜き、約480社もの会社設立に携わった日本実業界の父です。2021年のNHK大河ドラマの主人公に選ばれたことや、2024年から流通する新一万円札の顔となることから、偉大な功績に改めて注目が集まっています。

渋沢は江戸から明治へと移る激動の時代に、まさに波乱万丈の人生を歩みました。

将軍家である一橋家の家臣であった渋沢は、その能力を買われてフランスへ渡航し、先進諸国の社会を目のあたりにします。大政奉還後は近代日本の骨格となるべき制度の創設や改革に官僚として尽力しますが、政府を取り仕切っていた大久保利通と対立。33歳の時に大蔵省を辞めて実業界に活躍の場を移しました。

その後、渋沢は抄紙会社(現・王子製紙)、東京海上保険会社(現・東京海上日動火災保険)、日本郵船、東京電灯(現・東京電力)、日本瓦斯などの企業の設立に中心的な役割を果たします。

「論語と算盤」つまり「経済と道徳」は両立する

渋沢の人生哲学、事業哲学の神髄をまとめた書籍が『論語と算盤』です。彼の講演録を基にした本書のテーマは「論語で説かれる儒学的な道徳観と、富と欲望を肯定する資本主義は、共存し得る」です。
渋沢は実学を重んじる実業家という立場から、社会道徳の重要性を改めて説いています。

商売をする原動力の一つに「利益を伸ばしたい」「富を得たい」という望みがあることは間違いないでしょう。資本主義はその望みを原動力にして進んでいく面があります。しかし「利益を上げられるなら、なにをしても良い」という利益至上のような考え方に傾くと、時に社会に害悪をもたらし、心を荒廃させてしまいます。

「真の豊かさとは、論語に説かれたような道徳観を基盤とした、正しい経済活動によって手に入れるものである」。このことを、渋沢は「論語と算盤(ソロバン)は一致すべきものである」という言葉で端的に言い表しました。

当時の日本は、合理主義に基づく実業(資本主義)が主流で、論語が説いていた道徳などの実学は軽視される傾向にあり、商売と道徳のバランスにいち早く着目した渋沢の慧眼は、必ずしも広く理解を得られたわけではありませんでした。当時の進歩的知識人の代表格ともいえる福沢諭吉は、逆に「儒学は妄説」と言い切っています。

しかし、今日では企業には事業活動と社会の調和はもちろん、事業活動を通じた社会への貢献も求められるようになっています。
100年以上も前に、時代の風潮に流されず、正しい経済活動のあり方を説いた渋沢の勇気と先見性には瞠目させられます。

身の丈を知ることで暴走に歯止めをかける

では商売の原動力である「富を得たい」という望みと、社会とのバランスを取るにはどうすれば良いのでしょうか。

渋沢は、「過ぎたるはなお及ばざるがごとし」という論語の言葉を引いて、身の丈を知ること、つまりは己を知ることの重要さを説きます。

「世間には、随分と自分の力を過信して、身の丈をこえた望みを持つ人もいる。しかし進むことばかり知って、身の丈を守ることを知らないと、とんだ間違いを引き起こすことがある」

身の丈をこえた望みを持つとは、たとえば、経営者が企業の競争力や経営体力を超えた無謀な利益や売上目標を掲げるようなことです。これを社員に無理強いすれば、社員はそれを実現しようとして強引な売り込みをかけたり、取引先に無理な取引条件を呑ませたりしかねません。

そんな暴走に歯止めをかけるに、経営者は己を知る、すなわち企業の競争力や経営体力を冷静に見極め、目標を「合理的な背伸び」の範囲内に設定しなければなりません。

この考え方はお金の運用や投資にも活用できます。身の丈を知る、すなわち運用や投資に振り向けられる資産額や収入・支出、年齢、ライフスタイルなどを見極め、許容できるリスクを客観視し「合理的な背伸び」の範囲内で行うことが、リスクマネジメントのひとつになるでしょう。

好調な時こそ些細なことにこだわる

渋沢はまた「調子に乗ること」を戒めます。
「だいたいにおいて人のわざわいの多くは、得意なときに萌(きざ)してくる。得意なときは誰しも調子に乗ってしまう傾向があるから、わざわいはこの欠陥に食い入ってくるのである」

渋沢は、調子が良い時ほど些細なことに気を配るべきだと指摘します。人は好調な時には大きなことに気を取られ、些細なことに目を向けなくなりますが、失敗の原因となる致命的なミスは些細なことに端を発している場合が少なくないからです。

確かに事業や仕事でも、好業績・好成績が続くと慢心が生まれ、小さな仕事を軽視してしまったりしがちです。これがやがては取り返しのつかない失敗につながるという戒めには重みがあります。

この指摘は運用・投資にも当てはまるでしょう。わかりやすい例はリーマンショックです。アメリカの経済を動かすような優秀な人々が、一種のバブル景気の中で冷静さを欠き、株や土地などの高騰があたかも永遠と続くかのような錯覚に陥って、無謀な投資と判断ミスを起こしました。その結果が世界的な金融危機を招いてしまったのです。

投資・運用の成績が良い時ほど、無理な運用・投資はしていないか、ポートフォリオつまりリスクを伴う投資への配分が適正かどうか、自らチェックする姿勢が必要でしょう。

渋谷和宏のコレだけ覚えて

理論より実践。まずは投資に一歩踏み出してみること

渋沢は本書で「理論より実践」と指摘し、当時の教育が知識・理論一辺倒になりがちで、実学や実践を軽視している点を痛烈に批判しています。

実践の大切さは、運用・投資にも言えます。机上の知識・理論をただ詰め込むのと、自分のお金で投資・運用を始めるのとでは、大きな違いがあります。

投資・運用を始めると、自分のお金がかかっている分、経済の動向や社会・国際情勢の変化に対して敏感になり、積極的に情報を収集するようになります。そうした習慣は、運用・投資のみならず、仕事にもよい影響を与えますし、話題を豊富にしてくれるでしょう。

  • 2021年1月現在の情報です。今後、変更されることもありますのでご留意ください。
渋谷 和宏

渋谷 和宏

しぶやかずひろ/作家・経済ジャーナリスト。大学卒業後、日経BP社入社。「日経ビジネスアソシエ」を創刊、編集長に。ビジネス局長等務めた後、2014年独立。大正大学表現学部客員教授。1997年に長編ミステリー「錆色(さびいろ)の警鐘」(中央公論新社)で作家デビュー。「シューイチ」(日本テレビ)レギュラーコメンテーターとしてもおなじみ。

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