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天ノ川夫妻の事件簿

2019.6.12

魔法の杖はどこに消えた?~人生と投資のリスク分散~(後編)

前回のあらすじ】
調査の結果、大介が作った偽札は、お金のリテラシーを教えるNPO活動に使われるものだと分かった。しかし、理由を問いただした時に大介が「それは言えません」と言いよどんだことに京は引っかかっていた。果たして真相は……?

イラストレーション:西山 寛紀

その日の夕刻、京と明日美が「今晩は久しぶりに外食しようか?」などと話している最中に、明日美のスマホが鳴った。
電話の相手と言葉を交わした明日美が「そんな!」と声を張る。
「順子さんのところ、大変ことになってしまったの…!」
明日美が言う。
「順子さんから、大介くんのNPO活動のことを知らされたご主人のはじめ(58歳)さんが、『NPOの活動など許さない。仕事に集中しろ!』って大介くんを自宅まで呼び出して説教して、父子おやこが衝突してしまったそうなの…」 「一さんは家電メーカーで部長を務めていて、会社一筋、仕事一筋に生きてきた人だから、大介くんのNPO活動が理解できないんだって。
あたし、順子さんから『主人を取りなしてほしい』と懇願されたけれど、自信がなくて……。
京ちゃん、その細腕を貸してくれない?」
京はうなずき「今、完全に下りてきた」と言った。 「大介くんが、玩具の紙幣を作った理由について口をつぐんだのは、父親に知られて干渉されるのを避けようとしていたからなんだ」

―翌日の日曜日、京は明日美とともに、一ツ木家を訪ねた。
街はずれにあるしゃれたマンションのリビングルームでは、順子とともに一が二人の来訪を待っていた。
一は順子から、二人の来訪の意図を聞いていたのだろう。口を不機嫌そうに「への字」に曲げている。
体つきも顔もふっくらしているが、涼しげな目もとは大介とよく似ている。
「お二人が順子に何を言われてやって来たのか、大方の見当はついています。
『息子のNPO活動について理解してあげてほしい』あなた方は私にそう言いたいのでしょうが、それはできない相談ですな。
大介にとって今は、本業に全力投球しなければいけない時期です。他の事をしている暇などないはずだ」
「でも……大介くんのNPO活動が仕事にプラスになることもあるのではないでしょうか。
私たち大介くんたちのイベントを拝見しました。素晴らしかったですよ」
「活動の内容が問題ではないんです」 「あの……大介くんはもう社会人ですから、彼の自由にさせてあげたら……」 明日美の言葉に、一は激高したように大きくかぶりを振った。
「仕事にしても投資にしても、一点張りが私の信念なんです!どうか我が家のことに口を出さないでいただきたい!」
声を荒らげたのと同時に一は顔を歪め、胸を抑えてソファに倒れ込んでしまった。 「あなた!」
 順子が悲鳴を上げた。

救急病院の集中治療室ICUのドアが開き、一を乗せたストレッチャーが看護士に押されて出てきた。
順子と大介、京と明日美の四人が同時にソファから立ち上がる。
医師が近づいてきて、一が倒れたのは疲労とストレスによる不整脈が原因で、命には別条はないと四人に説明した。
緊張がほどけて倒れそうになる順子を大介が支える。
一が救急病院に搬送されてから二時間余りが経っていた。
医師の許しを得た四人は一が移送された一般の病室に入っていった。 一は「心配をかけてしまったね」と順子に言い、「怒鳴ったりして申し訳ないことをしてしまいました」とベッドに横たわったまま京と明日美に頭を下げた。 「実はこのところ、嫌なことばかりが続きましてね。先週、会社で肩叩きされました。
社運を賭けた大型プロジェクトの失敗が仇になって、会社は数年前から赤字決算が続いていて、いよいよ希望退職を募ることになったんです」
「これだけ会社に尽くしてきたんだから、もしかして役員として残れるんじゃないかと期待していましたが、甘かった。
会社一筋の人生は、会社が順風満帆な時はいいけれど、つまずいた時には脆いものですね…」
一は泣き笑いのような顔をした。 「それだけじゃありません。資産の運用でもつまずいてしまいました。
ある半導体関連のアメリカ企業の株に、数千万円投資していましたが、一時期は飛ぶ鳥を落とす勢いだったその会社の業績に陰りが見えて、昨年から今年にかけて、株価がピーク時の半値まで下落してしまったんです。
まさに踏んだり蹴ったりですよ」
「一さんは他にも金融商品に投資されていますか」
明日美が聞いた。
「普通預金を除いた残りの数千万円を米ドル預金で運用しています。
幸いなことにこちらは買った時よりもほんの少し上がっています」
「アメリカ企業の株に米ドル預金、本当に一点張りなんですね。
でも、今の運用の仕方だと、為替相場が円高ドル安に振れたら、米ドル預金でも為替差損が発生してしまいますよ」
「それは確かにその通りだな」
明日美の言葉に一は神妙な顔をしてうなずいた。
「いかがでしょう、一さん、為替差益が出ているうちに米ドル預金をいったん円に換えてみませんか?
そして、そのお金を、アメリカだけでなくドイツや日本などの先進国、さらには中国など新興国の様々な金融商品に分散して運用するんです」
「経済の状況や景気はそれぞれの国ごとに違いますし、金融商品の種類によって値動きが変わるので、リスクを抑えられるだけでなく、長い目で見たら安定した利益を得られるはずです」 「そう言えば、昨日の『親子で学ぶお金の授業』で、大介くんは複数の外貨に分散して運用すると為替リスクを抑えられると説明していたね。
とても分かりやすかった」
京がそう言うと大介は嬉しそうな顔をした。
一はそんな大介の顔をまじまじと見つめ、静かに微笑んだ。 「私はいささか頑なだったようですね」
一は遠くを見つめる目をした。
「仕事も投資も、一点に絞って、持てるものを注ぎこむのが正しいと私は思っていました。
しかし時代は変わり、この会社に入れば一生安泰だなんていう保証は無くなってしまった。この会社の株を買っておけば安心だなんていう運用もあり得ない。
私たちにはもはや、これ一本で一生転ばず、立ち止まらずに歩いて行かれる『魔法の杖』なんて無いんですね…」
「僕たちにはたぶん、転ばぬ先の杖が二本も三本も必要なんでしょうね。
大介くんが会社だけでなく、NPOの活動も始めたように」
京が言った。
「ある金融商品の値段が下がってしまっても、別の金融商品に損失を補てんしてもらえるような分散投資が必要なように」
明日美が続ける。
「NPOの活動と仕事、頑張れよ」
一は大介に右手を差し出し、二人は握手した。
「これで本当に一件落着ね。あ、そうだ、言い忘れていた」
明日美が京を見上げた。
「高い所にある物を取る時、これからは一本足のテーブルではなく、二本足の脚立を使ってよ!」

天ノ川京のマネーコラム

複数の国の複数の金融商品でリスクを低減

明日美は一に対して、一点張りの運用を止めて、「アメリカだけでなくドイツや日本などの先進国、さらには中国など新興国の様々な金融商品に分散して運用しませんか」とアドバイスしました。 このように様々な国々の様々な金融商品に分散して投資する方法を国際分散投資と言います。 その利点は、リスクを抑え、長い目で見れば安定したリターンを得られることにあります。
投資・運用対象を一つの国に限ると、株価や債券など金融商品の値動きがどうしてもその国の経済や政情に左右されてしまいます。その国の経済状況が極端に悪化した場合、運用成績ががくんと落ち込んでしまうのを避けられません。
複数の国に分散投資すればこうしたリスクを低減できますし、値動きの方向性が異なる金融商品を上手に組み合わせればリスクはさらに抑えられるでしょう。 インターネットなどITの発達・普及によって国際分散投資は以前ずっと手軽に行えるようになりました。先進国・新興国の様々な金融商品を組み合わせた投資信託も少なくありません。 その一方でネットの発達・普及は、一国の経済不安が瞬く間に世界中に知れ渡り、世界同時株安を招く現象も引き起こしています。
そんなリスクを踏まえると、国際分散投資にも長期運用の視点が必要でしょう。

登場人物

天ノ川京(あまのがわ・きょう/主人公)
33歳、マネー誌の編集者。推理小説を愛し推理作家を目指している。趣味は謎解き。優しい性格で妻の明日美に振り回される。
天ノ川明日美(あまのがわ・あすみ)
34歳、京の妻、フリーのファイナンシャルプランナー。好奇心旺盛で周辺で起きるマネーの謎にことごとく首を突っ込む。
一ツ木順子(ひとつぎ・じゅんこ)
54歳、明日美のクライアントで息子の大介が悪い仲間に加わってしまったのではと心配になり、明日美に相談を持ちかける。
一ツ木大介(ひとつぎ・だいすけ)
23歳、大学を卒業してIT系の企業に就職したが、大学の仲間とともにNPOを立ち上げる。それが母親の思わぬ誤解を招いてしまう。
一ツ木一(ひとつぎ・はじめ)
58歳、家電メーカー勤務で仕事一筋、NPO(非営利団体)活動を巡って息子の大介と衝突する。
執筆:渋谷 和宏 (しぶやかずひろ)
作家・経済ジャーナリスト。大学卒業後、日経BP社入社。「日経ビジネスアソシエ」を創刊、編集長に。ビジネス局長等務めた後、2014年独立。大正大学表現学部客員教授。1997年に長編ミステリー「錆色(さびいろ)の警鐘」(中央公論新社)で作家デビュー。「シューイチ」(日本テレビ)レギュラーコメンテーターとしてもおなじみ。