転職続きの20代。長男誕生を機に、働き方について考える

20代は心身ともにつらい日々もあった

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渡邊大地さんは現在40歳で、会社を設立したのは31歳のとき。「この街でもう一人産み育てたい、を応援します」を理念として掲げる株式会社アイナロハの代表を務めています。両親学級や産後サポートなど、「子育て支援」に関わるさまざまなサービスを提供するほか、メディアへの出演、札幌市立大学看護学部での非常勤講師、出版業と幅広く活躍されている渡邊さんの半生をお聞きしました。

渡邊さんは、大学を卒業後にアルバイトをしながら興味のあった油絵の専門学校へ通っており、その時に奥さまと知り合います。

卒業後、学習塾に就職して社会人としてキャリアをスタートさせますが、ほどなくして挫折してしまいます。

「仕事が合わなかったのか、うつ病になってしまったのです。すぐに別の会社に転職したのですが、そこも合わず、数か月で退職しました。ようやく腰を据えて働けるようになったのは、3社目の薬品メーカーに転職してから。この会社に3年間勤務し、その間に結婚しました」

しかし、その後も試行錯誤が続きます。3年勤務した薬品メーカーを辞めて外資系のメーカーに転職しますが、2年で退職。

「転職を繰り返すうちに、自分を受け入れてくれる会社ならどこでもいいと、どんどん気持ちがネガティブになっていきました」

そんな渡邊さんに、転機が訪れます。1人目のお子さんが生まれたのです。

「妻から妊娠を告げられたとき、すごくうれしかったと同時に不安も大きかったですね。子どもが生まれたら、『楽しく働いている父親の背中』を見せなければ。そんな風に考えました」

「やりたいことがあるなら、やってみればいいじゃない」――奥さまの言葉に勇気をもらう

奥さまとの二人三脚で今がある

  • 奥さまとの二人三脚で今がある

当時を振り返って、渡邊さんはこう語ります。

「当時は仕事に育児にお互い忙しくて、夫婦の会話もほとんどありませんでした。そこで、妻の提案で週に1回、夫婦会議をすることにしたんです。育児はもちろん、貯蓄のことや休暇の過ごし方、長期的な目標など、どんなことも夫婦で話し合って決めるようになりました」

その後、奥さまが2人目を妊娠。渡邊さんは、長男の世話をしながら、奥さまをサポートすることになりました。ここで、渡邊さんは「子育て支援」の必要性について深く考えるようになります。

「今ほど子育てに対する社会的な理解が進んでいなかったこともあり、仕事と子育ての両立が難しかったんです。特に父親に対する支援はほとんどなかった。私が勤務していた会社も同様でした」

家族を優先した働き方はできないのだろうか。渡邊さんはある出来事をきっかけに、その思いをさらに強くしていきます。

「東日本大震災が発生した日、たまたま家族でテーマパークに遊びに行っていました。帰宅困難になり、テーマパークで夜を明かすのは怖かったけれど、妻や子どもと一緒にいられる。それが何よりも心強かったですね」

これこそが、渡邊さんにとって理想の家族の姿。なるべくいつもそばにいられる、そんな働き方がしたいと強く思ったのです。

「自分自身が仕事と子育ての両立に苦労していたこともあり、漠然とした思いでしたが、『子育て支援に関する仕事がしたい』と思うようになりました」

しかしこの時点で渡邊さんは30歳。年齢のことを考えると、今の仕事を続けた方がいいのではないだろうかと悩んでいました。

「妻は『自分のやりたいことをやってみればいいじゃない。生活面は任せて。私の収入で何とかなるから』と背中を押してくれました。それで、『やるだけやって、ダメなら早めに見切りをつけてやり直そう』と決心することができたんです」

そして2011年12月、最後に勤めていた出版社を退職し、子育てに関する事業を行うことだけを一旦決めたうえで、株式会社アイナロハを設立しました。

赤ちゃんのいる家庭を支援しよう! ――両親学級と産後ヘルパーの事業をスタート

両親学級の様子

  • 両親学級の様子

「会社を設立したものの、なかなか軸となる事業が見つからずにいたのですが、2人目を妊娠中の妻に助けられました。産婦人科の助産師さんから『一度、父親学級をしてみたら?』とチャンスをいただいたのです」

自分がやりたいと思っていたことに近いかもしれないと思った渡邊さんは、その産婦人科で父親学級を開催。これが大好評で、その後も継続して実施することになりました。

「学習塾講師の経験があるので、人前で話すことは実は得意。当時は父親学級がほとんどなかったので、タイミングも良かったと思います。珍しい取り組みとして、メディアからも取材を受けました」

しかしプライベートでは、大きな危機に直面します。妊娠中の奥さまが緊急入院したのです。

「妻と話し合って家事代行を頼むことになりましたが、赤ちゃんのいる家庭は対象外。ならばファミリーサポート(子育てサポートをしてほしい人と、サポートしたい人で構成される地域の活動)にお願いしようと電話しても、『人手が足りないので新規の受付はしていません』と断られてしまいました」

絶望的な気持ちになりましたが、これが事業のアイデアにつながりました。自分たちと同じように「子育て支援を必要としている家族がいるに違いない」と思ったのです。

「赤ちゃんのいる家庭をサポートしようと決意し、産前産後の支援を行っているNPO団体を訪問。支援内容やスタッフの教育方法について学び、事業の準備を進めていきました」

こうして、産後ヘルパーの事業をスタート。会社を立ち上げた翌年、2012年6月のことでした。

資金繰りに苦労しながらの会社経営。起業から3年目、初めて黒字に

現在、株式会社アイナロハは、「両親学級を中心とした講師業」と「産後ヘルパー・家事代行業」「出版業」の3つの事業を展開しています。

株式会社アイナロハが展開する3事業による収入の割合のグラフ

一見順調に事業を拡大しているように感じられるかもしれませんが、「資金繰りに苦労したことが何度もありました」と渡邊さんは言います。

「夫婦の貯蓄を資本金にあて、政策金融公庫から150万円借りて運転資金としました。しかし、2012年6月にスタートした産後ヘルパーのサービスは、すぐに依頼がきたわけではありませんでした。自分の給料を受け取ることができない月もあり、警備のアルバイトをしながら生計を立てていました」

このままだと、会社をたたむしかない。最悪の事態を予想した頃、あるチャンスが舞い込みます。

「出版社から『本を出しませんか』と声をかけていただきました」

会社設立当初から書きためてきたブログが新聞に掲載され、新聞記事を読んだ読者がコメントを次々と残してくれました。

「ブログでは、産後の妻の体調や気分の観察日記を紹介していました。参考になるという声がすごく多くて、自費出版で本を出したところ、出版社からお声がけをいただきました」

本が出版される当日も、警備のアルバイトをしていたという渡邊さん。しかし、そんな生活もしばらくして終わりを告げます。2014年、株式会社アイナロハが初めて黒字に転換したのです。

黒字なのに、運転資金がない!? 会社設立7年目、最大の試練が訪れる

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「会社を立ち上げて7年目、アイナロハはどの事業も軌道に乗っていました。だから、資金繰りに困ることなんてあるはずがないと思っていました」

ちょうどプライベートで購入した車のローンが終わることもあり、会社の収支も含めてお金の動きを把握しようと思った渡邊さんは、Excelで収支を月ごとに入力していきました。

「それまでは会社の収支を年単位で把握していたため、月単位で把握できる表を作ったのはこれが初めて。この表のおかげで、なんと数カ月後に資金がショートすることが分かったのです」

たとえ黒字でも、入金のタイミングが遅いため、資金が枯渇してスタッフに給料を払うことができない! 渡邊さんは焦りました。

「政策金融公庫は借り換えをした直後だったため、頼ることができない。そこで、よろず支援拠点に相談しました」

よろず支援拠点とは、中小企業や小規模事業者の経営相談を無料で受け付ける組織。渡邊さんが相談すると、担当者が「アイナロハは絶対になくなったらいけない。僕にまかせてください」と、様々な事業展開の方策や資金繰りについてアドバイスしてくれました。

会社設立時に政策金融公庫から融資を受けたときも、「渡邊さんがやろうとしている事業は、絶対に社会が必要としているもの。なんとかして、稟議を通します」と、担当者が応援してくれました。

また、奥さまの知り合いから「企業内保育所を作りたいから協力してほしい」と声がかかり、大きな企業と事業提携させていただくこともありました。

「僕は人見知りで、人付き合いが得意な方ではありません。だから、積極的に自分から人脈を広げるようなことがなかなかできなかった。そんな僕を、妻を始めたくさんの方がフォローしてくれました」

家族と一緒に過ごせる今を、心から幸せに思う

言葉にして夫婦で話し合うことでやりたいことは明確になる

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会社員時代、渡邊さんが最も収入を得ていた頃と比較すると、現在の収入は3分の2くらいに減っています。それでも、渡邊さんは「会社員時代よりもはるかに豊かな生活が送れている」と語ります。

「会社員時代は休日出勤も多く、家族と過ごす時間がほとんどありませんでした。今は、朝晩を家族みんなで過ごし、保育園の送り迎えもしています」

お金に対する価値観も変化しました。会社員時代は「こんなに働いても、これだけしかもらえないのか」と思っていたという渡邊さん。それが今は、「お金をいただけるのは、こんなにもありがたいことなんだ」――会社を経営するようになって、このような気持ちになったそうです。

数年前、奥さまはそれまで勤務していた会社を退職し、現在はアイナロハの社員として産後ヘルパー事業のリーダーを務めています。

「夫婦で仕事することも僕の目標だったので、理想の働き方に更に近づくことができました」

今、大学や高校の講義も担当している渡邊さんは、自分の話を真剣に聞いてくれる子どもたちを見て、もっと教育にかかわりたいと思い、「大学に入り直して、社会学を学びたい」と考えるようになったそう。また、産後ヘルパーの資格認定制度を作り、起業したい人たちの支援も行うようになりました。

「最近は妻がコロナ禍をきっかけにお金について勉強を始め、NISAを前向きに検討しています。また、黒字化したタイミングで税理士さんに薦められ、病気になったとき、もしくは退職後にまとまったお金が入る保険に加入して、将来に備えています」

そんな渡邊さんに「現在の自分自身に点数をつけるとしたら?」と問いかけると、「100点」という答えが満面の笑みとともに返ってきました。

「株式会社アイナロハは、今年で10年目になります。会社を立ち上げた頃の自分に『大丈夫だよ。10年後も会社はちゃんと続いているよ』と伝えたいですね」

「起業には家族の理解が不可欠です。そして、強い精神力も求められるかもしれません。それでも、やりたいことがあって起業したいと思うのなら、ぜひ挑戦してほしいですね」

何度も試行錯誤を重ねてきたその先に、渡邊さんは理想の働き方・生き方を見出しました。アイナロハを立ち上げたことで得た渡邊さんの「心豊かな生活」とは、夫婦が仲良く、子どもたちと一緒に幸せに暮らしていくこと。きっとこれからも、夫婦で話し合いながら、幸せな生活をカタチにしていくことでしょう。

<渡邊さんのモチベーショングラフ>

渡邊さんのモチベージョングラフ

  • 2021年1月現在の情報です。今後、変更されることもあるのでご留意ください。
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